燃える女子大生🔥

隠れ負けず嫌いの燃え燃え記録

「意外だね」ってなんなんだね?

こんにちは!なぎんこです!!🔥

 

いきなりですが

 

みなさんは「意外だね」とか

 

「意外と○○なんだね」と言われた経験はあるだろうか?

 

 

私は日常的にもよく使うフレーズで

 

よく言われるフレーズでもある。

 

 

いい意味合いでも悪い意味合いにでも使われるこのフレーズ

 

 

私は昔から少し疑問を感じていた。

 

 

 

 

 

①「意外だね」を意識してしまった事件

 

実際事件でも何でもないのだが、

 

私は「意外だね」と言われたある強烈な思い出がある。

 

 

私は生きてきて今まで個人で表彰されたり、

 

成績がトップクラスだったこともなく、

 

ただただ本当に何にも取り柄のない

 

なんにもない「学生」だったのだが、(現在も一応学生)

 

 

 

中学生の頃通っていいた塾の英語のテストで塾内1位(13人中)

 

高校1年の3学期に受けた物理のテストは学年1位

 

 

だったことがある。

 

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えっと、

 

みなさんからみれば本当に大したことないちっさな功績なのかもしれないが、

 

 

私にとっては大過ぎる功績なのでそこはご理解ください。

 

 

で、ここからがポイントなのだが、

 

これらのテストの結果が発表される前に

 

どちらの先生も1位になった人(私)について言及した。

 

 

「今回のテストの1位は意外な人でした」と。

 

 

 

た、たしかに!!!!!!

 

 

いや、確かにな!と思う反面

 

いやちょっと失礼とちゃいますか?

 

という突っ込みたい気持ちにもなった出来事。

 

 

 

実はよくよく考えてみると、

 

この2つの出来事には共通点がある。

 

それはどちらのテストもテスト対策中に

 

内容がわからなすぎて号泣したという点と、

 

先生にわからなすぎるから教えてくれと拝みに行ったという点である。

 

 

とりあえず自信がなくて赤点、または退塾を逃れるということが目的だった。

 

 

だから、私自身もこれらの結果は意外だと思った。

 

 

②意外が重なったら、、

 

 

結局今回の記事で私が何を考えたいのかというと、

 

 

「他人が意外だと思った私のある一面を私自身でも意外だと思った場合、

 

その一面は本当に私の性質の一部ということができるのか?」

 

 

ということです。

 

 

哲学チックになってしまいました。

 

ここまで読んでくださった方は残念でした。

 

今夜は考えに考えにふけって眠れないかもしれません。

 

 

さっきの問いに戻りますが、

 

例えば先ほど話していた出来事でいうと、

 

 

 

1位になった私を先生は意外だと思ったわけだけど、私自身も意外だと思ったわけです。その場合、1位になった私は本当に私の性質の一部ということが出来るのか?

 

ということです。

 

 

あーあ。

 

 

なんでこんな記事を書こうと思ってしまったんだろう。

 

わかんないじゃないか。

 

 

私は現在文学部で哲学・倫理学

 

文句を言いながら専攻しているのだが、

 

なんだかんだ哲学が

好きなのかもしれない。

 

また話がそれてしまった。

 

③見る側に問題がある

 

 最近読んだ

 

「世界の危険思想 悪いやつらの頭の中という本の中でとても面白いことが書いてあった。

 

 

著者がインドネシアスラムツアーへ参加する際に、

 

ツアーガイドからスラムに住む子供へのおみやげを準備するように言われた。

 

そして、いざツアーに参加してみて案の定、子供たちが嬉しそうにおみやげをもらっている半面で、

 

スラムで迷い込んで出た先でiPhoneを握ってiPadで読書をする先ほどの子供の親らしき人と遭遇する。

 

著者はスラムに対して「貧しい」というイメージを持っていたために、

おみやげをもらって喜ぶ子供たちはただ異文化体験できていることに喜んでいたかもしれないのに、「貧しい」というフィルターをかけて子供たちを見てしまっていたために、そのような電化製品を持つ親を見たときに意外さを感じた

 

 

という体験談である。

 

 

見る側がみたいものを投影してみていたということが問題

 

だと書かれていた。

 

確かに、こういったことは何をするにおいても起こりえる問題であるなと思った。

 

 

 

④まとめ

 

結局私が思ったことは、

 

他人の私自身に対する「意外と○○」という言葉は

 

当てにならない気がする。

 

 

例えば、いい意味で「意外と○○だね」と言われた場合、

 

 

その人の想像を超えられた嬉しさを感じられるかもしれない。

 

しかし、その人はその人が実際に見た対象のある一面であるフィルターを通して次回から対象を見ることになる。

 

その人はたった一面しか見ていないのにその一面とは異なることをすれば、その一面と比較して「意外だね」という判断になってしまうこともある。

 

実際最近お笑い芸人の問題発言に対して

 

「お前は甘い」という言葉をかけたという話があったが、

 

例えば、

「お前は甘い」「お前は意外と甘い」では全然異なるように思う。

 

後者はなんかしら対象に対して知っている面であるフィルターを通してみていないと、この言葉は出てこないように思う。

 

自分でも意外(想定外)だと思う一面が自分自身にあるのに、

 

他人が自分のことを全てわかることはないのではないかと思うので、(完全なフィルターは存在しないと思うので)

 

「他人が意外だと思った私のある一面を私自身でも意外だと思った場合、

その一面は本当に私の性質の一部ということができる」

 

のではないかなと思う。

 

 

ただみなさんは「お前は甘い」と言われた時と、「お前は意外と甘い」と言われた時

 

比較してみてどう感じますか?

 

 

個人的な感想を言うと、

 

私は「お前は意外と甘い」と言われた時の方が見損なわれた感があるというか

 

減点された感じがします。

 

なんとなく「意外」という言葉は影響力が強そうだ。

 

いい意味で言われたなら喜んで受け取ればいいけど、

悪い意味で「意外と○○だね」と言われた時は

 

速攻無視でいいんじゃないかと思う。

 

今回の記事は本当に自粛で気が参っているのだと思う。

 

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書き始めから私は何がしたいんだろうと思いながら書いていた。

 

こんな狂った無理やりまとめたような記事を読んでくださった方はありがとうございました。

おつかれさまでした

 

それでは!!🔥